チリのワイン造りは19世紀後半に大きく進歩を遂げたが、20世紀に入ってからは長い停滞の時期に入ることになる。その主な要因としては、1900年代初頭の酒税の増税や、1938年に施行された新アルコール法によって葡萄の新植が禁止されたことなどが挙げられる。また、第二次世界大戦中、農業機械や醸造機械の輸入が実質的に禁止されたことも、ワイン造りの技術的進歩を阻害する要因となった。
その後、チリのワイン業界に劇的な変化が訪れたのは、1974年。30年以上の長きに渡って葡萄栽培を制限してきたアルコール法が撤廃された。それによって、葡萄栽培が拡大され、ワインの増産が行われた。しかし、チリ国内のワイン消費が低迷する中でのこの急激な自由化と増産は価格の急落を生み、チリのワイン産業は存亡の危機に陥った。
この危機が、逆に、チリのワイン産業の体質を近代化させることになり、結果として、世界へと羽ばたくための重要なきっかけとなった。つまり、この時期、19世紀から続く大手ワイナリーは株式会社化を本格化させた。また、新興財閥グループに組み込まれる形で経営再建を図るワイナリーもあった。
加えて、葡萄栽培地としての適性を知った外国資本の参入も多く、地元の中小ワイナリーと共同でブティック・ワイナリーが創設されるなど、チリのワイン造りはビジネスとして著しい近代化を遂げていった。
同時に、新しい生産技術の導入も急ピッチで進み、発酵用のステンレスタンクや熟成用のオーク樽の使用が普及。その他ドリップ式灌漑システムが導入されるなど、栽培技術も進歩した。
こうしてチリワインの品質は飛躍的に向上し、「新世界ワイン」の一角として世界中の注目を集めるようになっていった。
1990年代以降、チリワインは年々海外市場でのシェアを拡大し、輸出先国も90ヵ国以上と目覚ましい成長を遂げた。わずか10数年で、ワインはチリを代表する輸出品(6億ドル)のひとつにまでになった。
特に近年では比較的安価なテーブル・ワインのみでなく、国際的なワインコンクールで高く評価されるようなプレミアム・ワインの生産が積極的に行われ、毎年のように有機農法を始めとする新たな試みが行われている。